2007年8月6日

秒速5センチメートル (Byousoku5cm) レビュー

本文章轉載自Colorless echo
請到Byousoku5cm觀看原來的格式

秒速5センチメートル


秒速5センチメートル a chain of short stories about their distance

この作品には色んな speed がある。タイトルはその speed を点出し、「生きるスピード」や貴樹の「二人はただ心の距離を増やすだけ」、もしくは「どんなスピードでも君に追いつけない」と言う気持ちを表す。今度のネタは普通の日常だ(アニメを作ることを日常にする自分を示すって新海が後の interview で)。国連宇宙軍も蝦夷の「塔」もない。宇宙ものは…まあ、まだあるんだが、それもそれで普通だ。もしかしたら、宇宙ものは一種の symbol じゃないか?
シナリオは…相当典型的な男の子の片思いだ。叶わない夢の物語、Le Comte de Monte-Cristoのように、金色夜叉のように。こんな物語には、男は何時でも前へ進めなくて、ただ元の所に止まり、漠然と生き残る。ただ元の人に思いを寄せて…届けないのに。もっと極端にすれば、その命を全て一人の女に費やすこともあるのだろう。(今作中、貴樹はとうとう彼女を作った。だが、心は通わなかった。)そしてその叶わない過去を追い続け、やがて全てを失う。新海の作品は元々淡白なものだから、金色夜叉のようにドラマチックな怨みも、人は死んだなんてことも、全然出てこないんだ。でも逆に現実の酷さを静かに語れる。
この数年間、とにかく前に進みたくて」この前のほしのこえもそのような台詞があった気がします。新海は本当にこんな男を待たせるものが好きだね。ハッピーエンドはできないんだそう。それは、こんな悲劇こそ人の心に残れる、優美と言う感覚を呼び戻すのじゃないのか?

はっきり言って、水橋研二さんと近藤好美さんの声はあんまり子供らしくないんだね。その幼いトーンが感じないんだ。(素人の声優では?とさえ思った。すみません。)でも新海は満足したといった。それはそれで。まあ、画面の緻密さと並べば、そんなのは大したことないんだ。それに、前の作品よりキャラ顔がよくなった。これで確かに絶倫とはいえないんだが、綺麗と言ってもいいよね。キャラクターデザインの西村貴世に感謝だ。
緻密さと言えば、深青の夕景、空のgradientはすごくいい感じ。第二話の海はそこまでしないのに、どうしていつも空だけ?ロケハンKANON以来時々耳に入る話題が、今度は確かに多いな。「感情移入しやすい」と狙ったが、外国人の私にはさっぱり。「拘っている感覚がない」、「ディテールを省いています」と新海がいったが、ここまでよく出来たのも、他のアニメは全然付いていけないね。(制作時間が余りにも違うんだ。)

「桜花抄」の先頭はまさに「兩小無猜」と言うべきだろう。大切したいものがあるだから。大人になったら、時々極自然的に諦めをつく、明里のように。今は携帯やネットや、WebCam もあるんだから、本当はそんな苦しい思いで済むことはないんだが。ま、新海が語りたいのはその、離れ離れの感覚だな。ほしのこえ雲のむこう、約束の場所もそうだったように、テーマは「スピード」や「距離」など。貴樹は膨大の時間と距離感を感じた。こんな甘酸っぱい切ない気持ちは確かに恋とでも言えるのだろう。しかし純愛は� �ずしも実のるとは限らない。
駅で貴樹が電車を待ってるシーンを見るとどうしても違和感を覚えますね。確かに日本では皆順番を待つが、ここにはそんなしきたりはないよ。(いや、あるんだが、従う人ほとんど見かけないんだ。)皆ぐるぐるっとね。民族性以外、ここの電車はそう正確的に、定められた所で止まるとは限らないのも考える。いや、これでも民族性かな?職員も差不多先生とは考いたくないんだが。

この手のシナリオは何時も女の子が先に嫁ぎ、幸せを掴もうとする。多分男性は社会的に経済地位が自由的のも関係あるんじゃないのか。女の子は遅れは、老後の安逸のチャンスを逃されるだけ。愛よりパンだ。でも、それは現実と知りながら、あの指輪を見た、確信してた時、一瞬、とても切なくなった。私もまだまだ若い男だね。第三話のこの後は、この chain の中で、私の心が一番痛む話。感傷に浸る� ��はいいが、この世には元々宿命的な恋なんてないんだ。あれは若いものに見せかけの映画や小説やアニメのなかしか探せない夢のまた夢だ。現実の中に、こんなのがあると言っても神のちょっぴりな悪戯のようなもの。それにあれは本当の試練を受けなかった仮相とでも言えるのだろう。それでも人は皆満足した。
だから、約束を交わした幼馴染たちよ!もし異変に遭って、離れ離れになった、または二人の間に強い絆が結ばれていないときは覚悟する方がいいよ。二人は身に纏った本質しかこの世界に抗う術ないんだ。それはね、そんな若くで、襲い掛かる変化に向かい合う方法を持つ、土壇場で本当に大切なもの守りきれるものはあんまり、少ないから。

「いつまでも過去に生き続ける貴樹の方が悪い」と思うかたもいるのだろう。そうね、明里にとって、二人の間はもう綺麗な思い出になったのに、なぜ貴樹は未だにそこまでこの過ぎ去った思いに拘り、腐った今として力尽く抱き締めたいのかね。それで生き骸になっても。「愚痴だ。そうしたから自分の人生を束縛しました。」「それに三年間付き合い続けた彼女の水野さんにも大変申し訳ないじゃないの?(彼女こそ三年間この駄目男に費やしたよ!)」「彼は前へ進むべきだ。」と思うかたも大勢いると思います。でも、こんな人だから、純粋でいられるよね。姉恋模様の「正しい夫婦の在り方」に参考して下さい。)
「コスモナウト」は貴樹の執念を示すためにあったのかね(違うんだが)。二人の結末に私が言えるのはただ、もしそんなに彼女が気に掛かるのなら、手を離すことなく、確り抱き締めよう。愛を惜しむことなく語り合えよう。諦めたら得れるもんではない。だから行動せよ。諦める事なかれば、求めるものもすぐそこだ。現実はただそんな醜い、いや、現実らしいことだけ。
最後に貴樹は心を開放したと思う方もあるんだろう。しかし私はそうおもえない。彼はこの先もそんな悲念の欠片を持ち続けて行くのだろう。そう。たとえ前へ進むとしても。救いなんてないんだ。意外がない限り、この先十数年も(もしそこまで歩けるのなら)変われるものはない。

天門の音楽は前から気になった。静かに、旋律もいい。ピアノで演奏するのは好きのようで、常にピアノ曲を入る。ただ、旋律がかさなったっていうか、同じ melody が繰り返すのような感じがした。アレンジのつもりかな?そういえばこの前「雲のむこう、約束の場所」オリジナルサウンドトラックもそうだった。
山崎まさよしの「One more time, One more chance」は第一話その時代の唄だと分かった。最後この唄が流しだした時、曲の境地をもう一度、違う方向で解釈したと思った

この物語は貴樹の無力さを力いっぱい語ってる。なんとなく、「棄てられ」に弱い私に、確り届いた。これからは、こんなもので心を揺らがせないようになるほうがいいな。
2007/7/30 16:30
もう一度見た、断片で。今度はやっと感情移入しなくて済む。あの時は彼女の幸せぶりに苦痛さえ覚えたのに、今度はすっきりした。そこで、もう一度貴樹の心境を推察するようとした。
貴樹はもしかしたら、最初からやけになって、明里と結ばれる可能性さえも夢みていないのじゃないか?それで本当に駄目人間になって、最後はやっと自分をその虚しさから解放したいと思って。
しかし彼はそのまま、矢張りあの傷から逃れることはないと思う。その悲しみから抜け出すには切っ掛けが必要と思うね。
前は言った。貴樹と共感することは私の甘さを示している。と言うことは、私の心にまだ隙があるから。まだまだです。
2007/8/1 17:13:3

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