姉恋模様
ま、それは置いてく。続いて、甲本雅人と甲本恵二人の擦れ違い思いを見た途端思うのは、愛する人にはちゃんと思いを告げること。ずっと擦れ違うまま、下手にすれば恋は人を容易い壊せるから。そして、悲劇を起こさないため、取り返しの付かない事をしないように(たとえば恵)。自暴自棄はやはり駄目だな…覚悟がなきゃ。
主題としてのは夫の前で犯されて…と同じ、この辺の作品に語りたいのは自分の体を抑えない女だな。恵は最初は満たされない心を、せめて体で補うために。だが直ぐに分かるんだ、こ奴もセックスに溺れやすい体質で、いきっ放しだ。それに、愛する男がありながら、自分の好きな人を思うまま犯され、言葉責めながら性的興奮を感じるのはこんな女たちの宿命。彼女たちにとって、背徳なセックスも「彼にタバコは止んでも密かに吸う」のようなもんになった。なんとも思わないんだな。それに、段々愛とも愛とは思わなくなる。要するに、この作家たちは感度のいい女は流されやすいと言い張る積もりだな。これについて私はよく分からない。もし「違う!感じ易い女とは言え、そう安くない!」、或いは� ��そうですねえ、確かにあたしも自分の体を抑えないの…」と言いたいのなら、是非私に。
こんな女を落とせるために、必ずヌカロクが一人ある。今度は稲垣司と言う先生だ。しかし司と恵がデキた突端、私は不快さえも感じた。そこで思うんだ。どうして夫の前で犯されて…の時は何とか楽しませたが、今度はそんなに嫉妬するんだ?何処が違うんだろう。恵は自分から求めるのから?違うな。それで気付いた、姉さんの処女は俺様に捧げてないってこと。成る程な。ただ、初めてが取れないだけで、そこまで快くないと感じたんだ、私は。欲深い、醜いものだね、この方向から見たら。って、二人は実の姉弟なのか!だとしても、彼らにとってあんまり重要な事情には見えないんだが。
プレイヤーを興奮するため、こんな寝取られゲームは普通にエロシーンは女や寝取られた人の視点で描く。確かにこれでやけにエロく感じさせるんだ。
ここまで言って、女は本当にそんなに抵抗出来ないのかな。ここで一寸考察しました…が、ある人たちのオルガスター体験談によって、20代、エッチや弄ったことある女には一分程でイってしまいますようと聞いたら段々気が重くなった。今まで分かった事に、性感帯は大体三つあります:クリトリス、G スポットとポルチオだそうです。その中最も深く感じるのは子宮口上部のポルチオが、開発された人はそうそうないようです。しかし、一旦そのオーガズムを味わったことがあったら、忘れることは出来ないと。その他、男性にもドライオーガズムと言う前立腺を刺激により狂乱的に達する方法が…他にもAFE-zoneのようなもんが出てきたが、よく分からない。兎に角、様々な方法に通じて、体を開発したら、オーガズムに達し易く慣れると、色んな人がそう主張する。ここが一番いけないとこだ。もし女性の君はただ一人の男の手によってしか(嫌でも)最高のオーガズムに達せないのなら、君はあの人に依存するのかな。きっぱりとは言えないが、その可能性があると今の私は思っています。それで、もしそれは夫や彼氏ではなく、よその男だったら…セックスは刺激的な雰囲気ほど盛り上がるんだと聞いた。愛する人がいるのに自らあんな男を求めながらなら尚更だ。だから私は、女はセックスに溺れるのは避けないことだと思う。これは、両親から「毎朝風呂に入らなきゃならないよ」と言われつつ� �面倒で嫌だと思いながらも渋々言葉に従え、結局何時の間にか朝早くのその清らか感覚に囚われた、と同じ状況だ。それにもう一つ分かることがある。私には一人の女性を幸せにする力がないんだ。いや、試練に関わる話だ。二人に試練がないならともかく、本番の、連続の激しい試練に遭ったら耐えるもんじゃないよ、人間は。私達はもしかするとその「試練は来ない」や「やっと一つの試練を乗り越えたが、きつい。次の試練が来ないようにっと祈りながら」に感情と関係を賭けて、ある人は時に命さえも惜しくない、ここまで生きて行くのだろうか。ふっと思い出した、Windの同名の OP を。「何かを求めすぎてたり 言葉が足りなかったために 恋人はいつもテストを受ける」か。しかし、そんな甘いもんだけじゃないよ� ��本当は。
だが、いざとなったら全く手は出せないのか?確かにこんなゲームはやけに使えるんだが、自分が主人公になりたいって人はそうそうないんだろう。それで、(相手の不貞を)全てを受け入れる覚悟がなければ結婚できないのか?っと考えたら、方法はあるんだと思う。たとえは、もし恵と彼女の望月愛はもっと自分を高く思えるように(「矜持」を持ってるように。この「矜持」を日本語にすれば…誇りかな?凛とする、隙を出さないように。)、それでこんな事態は防げるのじゃないか?
此処まで詰めたら結論が出る。それは、「正しい夫婦の在り方」と言う胡散臭いものです。尤も、これは片方が性的な不測の事態に遭わせた時の場合に限られ、日常には余り働かないかも。で、肝心な応対法です。普段は相手を寂しくさせない。疑念や意見はちゃんと話し合うこと。満足させ(イチャイチャとは違う)、それで(他の人の)付け入る隙を与えることもない。(長く離れない。人間はとうとう弱いものだから。)自分は情に流されるより約束を大切にする方がいい。もし不測の事態に遭ったとき(例えば犯された方)はどんな酷い目に遭っても、愛する相手に対する気持ちは変わることなく、再び平穏な日常に戻るまで。もう一方は愛する相手の事をいつも気付いて、思い遣り、信じ続け、終わっ� �後もその愛しい人を受け入れ、相手が決着をつけても相手に対する一番いい選択に従って。(被侵犯的一方無論遇到何種事態都應該堅持下去而不屈服,直到回復正常生活,兩人再一同商討未來該如何走。另一方則該信任對方,事件結束後依舊寬容的接受對方,抱持「只要對方還願意,就接受他」的心態。即便對方作出決定,還是選擇能讓對方較幸福的處置。)強い決意があれば、取り返しのつかない事なんて、ないんだ(殆どね、意外は論外だが。)。此処に注意すべきことがある。一つは、犯されて生理的に抗え出来ない状況になっても、理性が維持出来る限り、せめて全てが終わる時には、その頃の異常な気持ちに影響されないこと。例えば、体が正直になる時。その感覚に抗えるのはいいんだが、決してそうと は限らないから。もう一つ認識しなければなりませんのは、相手を受け入れるのは愛情表現ではない。ま、確かに「相手を思う気持ちは十分に愛とは言える」と主張する人もいるんだが、それは飽くまで公平を基にする応対法だ。所謂人としての最低限だとも。だって多数の人の「愛の形」は独占的だからね。そんな愛情だったら、相手を無理やり捨てかねません。これで二人がどんなに悲惨な事故に遭ってもきっと乗り越える…とは言い切れないが、せめて人並みよりは長く続けるのだと思いたい。
それで、両方とも態度を合わせ、相手に対する「普段はお互いに思い遣り。いざという時、相手の事を考え、信じ続け、どんな事を遭っても受け入れる覚悟がある」と言う結論が出たんだ。当然の事だが、本当は難しいんだな。特に今時の男女にとってはね。
もし日常で実行したいなら、他の注意すべき点が幾つある。一つは前にも言った「潔い心(と言動)を持つ」と言うもの。もし自分の傍にはもう人を置く場所ないと自覚しないならば、揉め事は幾らでも起こるんだろう。二つ、相談が大切。もし自分は誤解させられたくない、或いは相手を誤解したくないなら、本心をはっきり表すこと。やったならやったと、欲しいなら欲しいと。どうすれば真心を感じさせるのも大切。伝えない気持ちに価値なし。そしてあまり固くしない。相手を変わるばかりを考えると悪化するだけ。第三に、新鮮さを保つ事。人間は飽きやすいものだから。
「ああ。それで、君だったらどうするのかね。」そこまで聞きたいなら告げましょう。君が望む永遠を参考したら言わなくても分かるんだと思うが。初めから相手にするな。や、確かに馬鹿だが、恋もせず、結婚もしないなら、そんなことで悩むこともないかな。「まあ、悩んでもしょうがない、それに絶対そうになるわけでもない」や「結婚前提で付き合ってるわけじゃない…」と思ったら別にいいんだが、人は果たしてそう上手く自分の気持ちをcontrolできるのかな。それに、運も欲しい。否、必要だ。
このゲームに一言。画も、音声も、あんまりついてねえじゃん。システムはまあまあだが、[Enter]キーを少し早く押して、音声を中断する時、volumn はいつも普段より大きくなるのはバッグかな。
BGM は…まあ、これとシナリオだけは普通。
日本語がまだ上手くいけなくて、変な日本語になって御免なさい。やはりこう言うのは母語で書く方がいいかな。でも、今度ばかりはそうとも言えないんだな。だって、「性的な記述」があるんだもの。
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