2007年10月8日

高橋留美子劇場 (rumiko) レビュー

本文章轉載自Colorless echo
請到rumiko觀看原來的格式

高橋留美子劇場


高橋留美子劇場

這部和人魚の森是一組的,應該說這是第一部;兩部的 OP 都不錯,ED 則較差些。比起來此部的 BGM 不錯,或是說用的很恰到好處;可惜還沒入手。OST 倒是兩部合起來的。腳色方面感覺也是此部比較強些,起碼有些比較可愛,例如浪漫の商人中的縁等。
其中有些真的是很不錯的故事,可以稱得上是雋永小品了吧。雖然,なんか、古いか、生活って言うのか。並不是主流的題材,也有點土里土氣,很多公寓啊、主婦的東西;まあ、嫌いじゃねえだ。某幾齣還真爆笑,點出了小市民、中年的悲哀:白日夢、笑わせる生活。雖然想說他們「想太多了」,但這種「非分之想」不正是我們的寫照嗎?就算是我,也不得不承認我隨時都在妄想,縱使我尚且知道那不會成真(就像劇中的腳色們);真是人沒辦法的本性啊。
所以,我覺得會妄想就照實說明自己在妄想,但也應該知道自己正在妄想,這才是比較好的態度。說不會妄想,對平常人來說這太困難了,但明明在妄想卻不知節制又會造成無明。
相較於人魚の森,我比較欣賞這個作品。即使說來都是照抄原作,其探討的範圍對我來說比較新奇,且比較廣泛。

接下來描述一下看完所引發的感觸(題材)。…這些應該放在自我批判的日記裡面才對,所以跳過吧。…好像盡是和戀愛有關的東西啊。何故?難不成我還是脫不出青澀的思想吧。
人似乎終究得和年歲相似的人交往啊。異性間的「忘年之交」似乎很容易就被議論。因為這是不符合生物性,也不和現代社會價值觀的事。所以說,年輕時不把握好,到老也甭有非分之想了。再怎麼說,人家年輕女孩的眼裡不可能映照出死氣沉沉的黄昏啊。只是,茶の間のラブソング中卻也點出老來無依的孤獨感:「これからさみしくなるな。」(雖然這句話可能也有點衝著らんま1/2連載結束而說的味道…)我還在打賭中。當然影響勝負的因素很多,不論我早死或是能倚靠現代科技迫使社會日新月異之便,都能讓我賭贏;但誰知道這最後的勝利會在誰手上?就算是 Brahms,誰能說他打一開始就是心靈上獨自一人的過活著呢?說到初恋…あったっけ?我還沒真正談過戀愛,自然也不敢誇口結婚或戀愛云云。但在經歷過這些年,這麼多模擬劇本� �刺激,看過了如此多無奈的情境,以自己意志拒絕過單戀(のようなもの),甚至於可能導致一場戀愛事件的發端;在我自己無法允許這種「不完美」的產生下,就算撇開「和我相戀的人很可憐」這種覺悟,我也能談場「普通」的戀愛嗎?
假如我是普通的單身貴族,或僅僅是因為畏懼著戀愛與婚姻、兩人生活所帶來的傷害,或許我還是很容易「上鉤」。但,我想我已經快要連「絕望」都沒有了。所以,我會「戀愛」,也會「結婚」。不過,這不只是對那相手的大不敬(我沒有辦法提供一個普通人所能輕鬆表現出的互動),甚至於也會傷害到我自己。

其次是同窓会的話題。這倒不全是戀愛相關的。
雖然沒啥好自誇的,我到現在沒有參加過同學會這種東西。我想,當我以這種措辭說出這句話時,恐怕就已經傷害到我過去的同窗了吧;雖然他們很可能會說「哼、我們打一開始就沒把你當同學過。」說來的確是我的不好,就學那段時間對我來說實在是很慘痛的一段人際關係教訓期。為了一步步學到身為「普通人」應有的禮節與規範,我總是從漆黑的陰井中望著天,期盼能徒手爬上不知有多高、潮溼的牆。可是,直到現在我都還沒有辦法產生歸屬感,沒有能夠,甚至於是想要依靠的對象,自然更甭提關係的建立。每每到了新的階段(例如升國高中),我就會輕而易舉的將過去斬斷。到現在已經反覆過很多次了,從現在起我想也是
我並不是說我缺乏一個能關懷我的人來拯救我。已經變成這樣的我,恐怕也不太可能再接受那些肉麻的劇本。但我確實照著我的路走,照著我那最後還是會成為一個「好人」的路。以我現在可見的,真的這麼下去,我還是會變成打從心底「不會阻礙他人」的傢伙,但那是令一條不同的路,就算表現起來類似,精神與內涵方面卻是不一樣的東西。路又轉回來了。俺のような奴、本当に生かされても良いのか?
順便一提,我國高中都是男校,所以同窓会那種妄想我很少作。

另外這部作品中還點出不少高橋常用到的題材。
婆媳問題:いや…こりゃ困るね。でも、この世に悪い者など居ません。強いて言っても、それも物事のついていない子供と執念の持てる人等だけだ。前者應該讓他們得到點教訓(說好聽點是學習經驗,說難聽一點是吃些苦頭。),後者或許得感化他們吧。平常的人,說理加上一點情境布置應該就成了。當然這問題在現在也相當嚴重,因為現在人在自由方面是不惶多讓的(「用錯成語了吧」「這樣才有笑果啊」←笑)。大家都不希望他人來干涉自己,甚至於連另一半也是一樣。就算是最愛的人都將其至於自己的自由之下的話,更甭提還沒結婚之前可能就抱持著壞印象的公婆了吧。這樣一來當然就很容易造成摩擦了。只是,若雙方面有心要和好的話,那倒還好解決,把話攤開來講就好了。總之,絕不可累積誤會;時常溝通的話,就能了解對 方在想什麼,剩下的就交給同理心即可。
公寓與結婚後依舊存續的嫌がらせ世界:如同上一段所說,共同生活的確是個棘手問題。因為大家都有自己的習性,現在人又特別不願忍耐。若是碰到那種好好跟他談就以為你好欺負,一副「我之定你了」態度的人,當然更不用說。只是,果真如此,あくまでも真面目な態度を取るのは身のためだと想う。總之,擺出誠懇要溝通的態度,就算對方不講理也不讓步,這樣一來就算是搞到很僵,也還有讓人覺得是對方理虧的餘地。
至於嫌がらせ,還真是懷念的字眼啊(…泣)。對這個,我只能說,身理方面長大,心理卻沒有,是件很悲哀的事。

無論如何,高橋在這方面做的不錯啊。
2004/6/5 0:36

大五日文仮名擴充碼的心酸血淚史 (BigFiveExtendedCode)=?UTF-8?B?IOODrOODkyY=?=

本文章轉載自Colorless echo
請到BigFiveExtendedCode觀看原來的格式

大五日文仮名擴充碼的心酸血淚史


大五日文仮名擴充碼的心酸血淚史(有那麼嚴重嗎?←笑)

話說家中大多還擺著沒有硬碟,以5 1/2" floppy disk 開機的時代,當時台灣的中文系統幾乎由倚天包辦。而他們後來的擴張字型中包含有日文仮名,使之後使用到日文的玩家有了依據:仮名就用倚天字型,其他除了和製漢字外,都用繁體代替。直到後來萬惡及萬便利的大魔頭微軟介入,創造出 GUI 的怪物巴哈姆特…不是,是 Microsoft® Windows,將舊王者倚天一舉推翻。但獨霸的微軟一開始就沒提供算是大五擴充碼(Big Five extended code)的倚天字碼,常常利用日文的人們當然開始著急了,「我們過去一堆心血資料該如何處理?」於是有了中國海(ChinaSea)等字型的出現。繼承了倚天,中國海的字型更多變化,也成了我過去一度慣用的字碼。但這在微軟看來根本是一錯再錯的不歸路,終於造成後來越來越多的紛爭與歧異。
乘著網路無國界之翼,各國區域性的字碼漸漸有了統一的需求,因此有了統一碼/標準萬國碼(Unicode)的出現。因為 Unicode,使得微軟有機會參與一種新世代標準字碼的制定。其結果,Unicode 至今依舊沒在 Big Five 中加入 ETEN extensions。而又因為微軟改變 OS 架構,使得中國海等不再能夠於 XP 等系統上使用。(以至於許多過去使用中國海和製漢字的資料都得修改,要不就廢除。)但我們終究找到了一些出路,那是現在市面上如雨後春筍一般出現的 Unicode 補完計畫、日和字集與櫻花輸入法等;以及微軟自己出的 HKSCS(Hong Kong Supplementary Character Set)patch,香港增補字符集:很幸運的香港他們也有不少人一路走來,且起碼在仮名的部分用的也是倚天字碼。雖然和中國海有些出入,權宜之下倒不失為一個良好的替代品;因為微軟畢竟是一家商業公司,也得顧及� �港為數眾多的客戶,所以既然有需求,就不得不一直支援下去。所以,我們就能看到像是 HKSCS-2001 Support Package for Windows 2000 and Windows XP 這樣的東西。但是這樣真的就沒問題了嗎?以我的評估環境來說,我不願意使用 Unicode 補完計畫等等的方法。雖然這可能對以上的作者有些不敬,但我總覺得還適用微軟自己出的東西比較保險。原因:假如一作,就得一直支援下去;但是我們有這樣的毅力嗎?碰到每隔幾年就來一次的系統大變革,我們隨時都會守在一旁,並保證有時間解決這些問題嗎?經歷過這些年來,我已經不太有把握了,當然也不敢期望太多。而縱使是微軟自己出的香港增補字符集,經我的評估,在任意變換非 Unicode 的內定字碼,正常使用下也有可能導致字碼亂掉,甚至因為 code page 的損毀或漏失而無法開機的狀況。我現在的情形,就� �於字碼頁已被搞混,本來不是 Big5 的也被判作 Big5,但事實上並不能顯示;而反安裝也沒效用,未來恐怕得靠自己(的程式)來一個字一個字更改了。因此,我們如此任意的改變系統設定,雖然或許能拿來誇耀,但誰知道我們的程式在任何情況下確實都不會出現 bug 呢?尤其是在字碼的這部分,連微軟自己出的東西都會有問題,我們在更改微軟產品之餘,有什麼自信能保證做得比微軟本身好?
所以我寧願採取更保守而能掌握的方法:將所有的舊擴張碼轉成 Unicode。只是,這樣終究是比較麻煩的。假如要問我我的期望,大概是 Unicode 能在 Big Five 中直接加入擴充碼的 mapping 吧,HKSCS 啥的也就免了,皆大歡喜。反正現在微軟在中文系統方面也已經沒敵手了,大可不必再拘泥於限制擴張碼的制定。假如那些人也能大力支援的話,相信應該能很快的將新的標準制定出來。
無論如何,假如您仍不想放棄舊的「所見即所得」式的表現法,使用 XP 而尚未安裝過與過去的中國海或是 ETEN extensions 等等包含日文字型相容的工具,例如 Unicode 補完計畫等;也就是說您看不到某些舊 BBS 中的日文字時,願意承受風險的話可以考慮裝裝看上面說的微軟那套。推薦原因:既然是微軟自己出的東西,售後服務多少會好些吧。(根本是妄想…)
2003/9/20 3:54
更詳盡的可參考 Joel on Software。 2007/10/6 23:42:37

秒速5センチメートル (Byousoku5cm) レビュー

本文章轉載自Colorless echo
請到Byousoku5cm觀看原來的格式

秒速5センチメートル


秒速5センチメートル a chain of short stories about their distance

この作品には色んな speed がある。タイトルはその speed を点出し、「生きるスピード」や貴樹の「二人はただ心の距離を増やすだけ」、もしくは「どんなスピードでも君に追いつけない」と言う気持ちを表す。今度のネタは普通の日常だ(アニメを作ることを日常にする自分を示すって新海が後の interview で)。国連宇宙軍も蝦夷の「塔」もない。宇宙ものは…まあ、まだあるんだが、それもそれで普通だ。もしかしたら、宇宙ものは一種の symbol じゃないか?
シナリオは…相当典型的な男の子の片思いだ。叶わない夢の物語、Le Comte de Monte-Cristoのように、金色夜叉のように。こんな物語には、男は何時でも前へ進めなくて、ただ元の所に止まり、漠然と生き残る。ただ元の人に思いを寄せて…届けられないのに。もっと極端になれば、その命を全て一人の女に費やすこともあるのだろう。(この作品に貴樹はとうとう彼女を作った。だが、心は通わなかった。)そしてその叶わない過去を追い続け、やがて全てを失う。新海の作品は元々淡白なものだから、金色夜叉のようにドラマチックな怨みも、人が死んだなんてことも、全然出てこないんだ。でも逆に現実の酷さを静かに語れる。
この数年間、とにかく前に進みたくて」この前のほしのこえもそのような台詞があった気がします。新海は本当にこんな男を待たせるものが好きだね。ハッピーエンドはできないんだそう。それは、こんな悲劇こそ人の心に残れる、優美と言う感覚を呼び戻すのじゃないのか?

はっきり言って、水橋研二さんと近藤好美さんの声はあんまり子供らしくないんだね。その幼いトーンが感じないんだ。(素人の声優では?とさえ思った。すみません。)でも新海は満足したといった。それはそれで。まあ、画面の緻密さと並べば、そんなのは大したことないんだ。それに、前の作品よりキャラ顔がよくなった。これでたとえトップクラスとは言えなくても、綺麗と言ってもいいよね。キャラクターデザインの西村貴世に感謝だ。
緻密さと言えば、深青の夕景、空のgradientはすごくいい感じ。第二話の海はそこまでしないのに、どうしていつも空だけ?ロケハンKANON以来時々耳に入る話題が、今度は確かに多いな。「感情移入しやすい」と狙ったが、外国人の私にはさっぱり。「こだわっている感覚がない」、「ディテールを省いています」と新海がいったが、ここまでよく出来たのも、他のアニメは全然付いていけないね。(制作時間があまりにも違うんだ。)

桜花抄」の先頭はまさに「兩小無猜」と言うべきだろう。大切したいものがあるだから。大人になったら、時々極自然的に諦めをつく、明里のように。今は携帯やネットや、WebCam もあるんだから、本当はそんな苦しい思いで済むことはないんだが。ま、新海が語りたいのはその、離れ離れの感覚だな。ほしのこえ雲のむこう、約束の場所もそうだったように、テーマは「スピード」や「距離」など。貴樹は膨大の時間と距離感を感じた。こんな甘酸っぱい切ない気持ちは確かに恋とでも言える� ��だろう。しかし純愛は必ずしも実のるとは限らない。
駅で貴樹が電車を待ってるシーンを見るとどうしても違和感を覚えますね。確かに日本では皆順番を待つが、ここにはそんなしきたりはないよ。(いや、あるんだが、従う人ほとんど見かけないんだ。)皆ぐるぐるっとね。民族性以外、私の住んだ街の電車は正確に定められた所で止まるとは限らないのも考える。いや、これでも民族性かな?職員も差不多先生とは考いたくないんだが。

この手のシナリオは何時も女の子が先に嫁ぎ、幸せをつかもうとする。(ある評価が面白かった。「男の恋愛は名前を付けて保存だが、女の恋愛は上書き保存だぜ」だっと。他にも「男は小学生の頃から秒速5センチメートルぐらいしか進歩していないのに、女のほうはどんどんどんどん先に行ってしまうのだ」などなど。)多分男性は社会的に経済地位が自由的のも関係あるんじゃないのか。女の子は遅れば、老後の安逸のチャンスを逃されるだけ。愛よりパンだ。でも、それは現実と知りながら、あの指輪を見た、確信してた時、一瞬、とても切なくな った。私もまだまだ若い男だね。第三話のこの後は、この chain の中で、私の心が一番痛む話。感傷に浸るのはいいが、この世には元々宿命的な恋なんてないんだ。あれは若いものに見せかけの映画や小説やアニメのなかしか探せない夢のまた夢だ。現実の中に、こんなのがあると言っても神のちょっぴりな悪戯のようなもの。それにあれは本当の試練を受けなかった仮相とでも言えるのだろう。それでも人は皆満足した。
だから、約束を交わした幼馴染たちよ!もし異変に遭って、離れ離れになった、または二人の間に強い絆が結ばれていないときは覚悟する方がいいよ。二人は身に纏った本質しかこの世界に抗う術ないんだ。それはね、そんな若くで、襲い掛かる変化に向かい合う方法を持つ、土壇場で本当に大切なことを守りきれる者はあんまり、少ないから。

「いつまでも過去に生き続ける貴樹の方が悪い」と思うかたもいるのだろう。そうね、明里にとって、二人の間はもう綺麗な思い出になったのに、なぜ貴樹は未だにそこまでこの過ぎ去った思いにこだわり、腐った今として力尽く抱き締めたいのかね。それで抜け殻になっても。「愚痴だ。そうしたから自分の人生を束縛しました。」「それに三年間付き合い続けた彼女の水野さんにも大変申し訳ないじゃないの?(彼女こそ三年間この駄目男に費やしたよ!)」「彼は前へ進むべきだ。」と思うかたも大勢いると思います。でも、こんな人だから、純粋でいられるよね。姉恋模様の「正しい夫婦の在り方」に参考して下さい。)いや、手に入れたら違うものに変わるかも。
「コスモナウト」は貴樹の執念を示すためにあったのかね(違うんだが)。二人の結末に私が言えるのはただ、もしそんなに彼女が気に掛かるのなら、手を離すことなく、確り抱き締めよう。愛を惜しむことなく語り合おう。一言「俺を待ってくれない?君を手放せしたくないんだ。いつかきっと君を迎えに…」と言ってやってもいいじゃない?この、根性なしが。諦めたら得られるものではない。だから行動せよ。諦めなければ、求めるものもすぐそこだ。現実はただそんな醜い、いや、現実らしいことだけ。
最後に貴樹は心を解放したと思う方もあるんだろう。しかし私はそうおもえない。彼はこの先もそんな悲しみのかけらを持ち続けて行くのだろう。そう。たとえ前へ進むとしても。救いなんてないんだ。意外がない限り、この先十数年も(もしそこまで歩けるのなら)変われるものはない。

天門の音楽は前から気になった。静かで、旋律もいい。ピアノで演奏するのは好きなようで、常にピアノ曲を入れる。ただ、アレンジというより、同じ旋律が繰り返しのような感じがした。アレンジのつもりかな?そういえばこの前「雲のむこう、約束の場所」オリジナルサウンドトラックもそうだった。
山崎まさよしの「One more time, One more chance」は第一話その時代の唄だと分かった。この唄が流しだした時、曲の境地をもう一度、違う意味で解釈したと思った

この物語は貴樹の無力さを力いっぱい語ってる。なんとなく、「棄てられ」に弱い私に、しっかり届いた。これからは、こんなもので心を揺らがせないようにするほうがいいな。
2007/7/30 16:30
もう一度見たんだ、断片で。今度はやっと感情移入しなくて済む。あの時は彼女の幸せぶりに苦痛さえ覚えたのに、今度はすっきりした。そこで、もう一度貴樹の心境を推察するようとした。
貴樹はもしかしたら、最初からやけになって、明里と結ばれる可能性さえも夢みていないのじゃないか?(もしかしたら、もう彼女が結婚したことも知ったんだじゃないの?彼女は彼の気持ちを気付いていないんだがね。)それで本当に駄目人間になって、最後はやっと自分をその虚しさから解放したいと思って。
しかし彼はそのまま、やはりあの傷から逃れることはないと思う。その悲しみから抜け出すには切っ掛けが必要だと思うね。
前は言った。貴樹と共感することは私の甘さを示している。と言うことは、私の心にまだ隙があるから。まだまだです。
2007/8/1 17:13:3
この文章は KOYAMAX さんに訂正してもらいました。まことに感謝に絶えません。
どうやら私は自・他動詞の扱いにまだ慣れていないです。

DARKER THAN BLACK (DARKER_THAN_BLACK)=?UTF-8?B?IOODrOODk+ODpeODvA==?=

本文章轉載自Colorless echo
請到DARKER_THAN_BLACK觀看原來的格式

DARKER THAN BLACK


DARKER THAN BLACK 黒の契約者(黒より暗い暗闇)

這作品我其實從一開始就追了。原因是主角又是根爛木頭。越看還覺得越對滋味,不知不覺就到最後了。想說不行,才擋住最後幾話,到現在一次看完。まあ、常常看本台心情點播的大概都知道,我喜歡看和自己性格類似的主角。(やばいよ、これ。)所以看這個很舒服。有些人可能會回擊「這主角根本是軟弱動漫青年內心酷酷的假象,和你那腐った性格沒啥關係。你會同調也是因為你已經引き篭もり化的關係。」不過那喰わない性格,對大部分現實不抱期望這點,還是和我很相似的。
從一開始跟的作品,大部分都沒有什麼感覺。連貫性不夠。本作也差不多。不過和許多動畫相同,本作也到最後才把重點明示出來,所以固然枝節漏脫,最該說的應該尚不至視而不見。
#23提到組織只把人當工具,換句話說就是我們朝九晚十做牛做馬為(商業)公司一輩子,但到頭來都是被利用。當然也可以說我們是利用來利用去,我們不也賺了我們那份的薪水?況且現在有法律保障,公司不能隨便解僱人。但人家有權有勢畢竟不一樣,對沒有特殊才能,不能傲然一挺:「天生我材必有用」又早過了黃金歲月的的我們,哪天抽中裁員大獎時,除了上街抗議、領取資遣費,接下來還能有終日徨徨於尋找「第二春」之外的其他選擇嗎?所以說物競天擇、弱肉強食下,無能者終究還是會被淘汰。
「組織」的目的是要把契約者在大部分人尚未知覺前使其消失,但是卻又雇用契約者來完成任務,使人參不透。這裡提到人對威脅性未知事物的恐懼。契約者就像是Gundam中的新人類,又如同elfen lied的二觭人與岩明均的寄生獣(族繁不及備載),是超乎常人、又可能置人死地而使人畏懼的存在;因此這些作品中都出現人類極力剷除這些異類的劇情。雖然結局大多選擇了和平共存,但就算某一方被消滅也不算什麼。當下的人類還是不夠理智的,我們的價值體系也尚未能找出最的解答,所以會有這方面的苦惱。本作比較特別的是暗示了契約者的存在是有意義的,他們似乎會帶來新的時代,在數萬年後造出一番新氣象。另外也有說這是進化必然現象的。這就得等岡村天斎自己透露了。(懶得幫人家校正背景設定。反正要怎麼詮釋說到頭還是原作的自由。)
#24又提到犧牲少數完成大我的狀況;這大概也是本作最深刻的議題。關於此之前提過,我們還是會作利益衡量:何者有利就選擇他。差別只在每個人心中衡量的那把尺不盡相同:較重視個人人權的能夠接受「維護少數人重大利益,讓多數人中度不便」;以「大我」為重的就無法忍耐「為了讓一兩人存活,卻使全國同胞水深火熱」的情況。只要將話攤開來講,處於極端情況的「一個人或是所有人活著(除了大家都死,沒有例外的話。)」以及「個人生命與眾人捐少許款項」則幾乎不會有什麼異議。所以終究不是道義問題,只是人的抉擇。講白一點則是個人「做人原則」的好惡。既然是好惡,就沒有「絕對的對錯」,只有相對上對不對的問題。其實人世本來就沒什麼絕對的事物了。順帶一提,日本� ��通的結尾常常會站在乍看之下比較人性化,其實是對主角比較厚道的角度。這沒什麼,大家都是這麼做的。本作也不例外,硬是選了個皆大歡喜的。其實是否真的算最好的路,又是「對誰」最好還是個問題。

本作觀賞起來相當舒服,加上有個秀逸的結局,評價大多不錯。我個人如上述,對內涵部分不能給好聽的評價,但一樣看得很高興。既然以故事性為主,大概就要提一下劇本以及設定的部分。只是沒有一次看完,很難回想起之前的劇情。很多人期待是不是會出個解迷性質的續篇,或者告訴我們契約者與人類的未來如何,黒的選擇真的是我們想像中的結果嗎?本作有許多謎團,諸如「流星の欠片」到底有何作用、是什麼、為何門中可以隨(意志)產生超常現象、黑為何能夠具有白的能力,而白真正的能力又是?與中心主題有關的像是契約者的出現,漸次變化的ドール與契約者們到底有什麼意義等。可惜聽說#26會以輕鬆布局為主,有點像番 外編。
說實在我對黒在#25中過於軟弱的想法以及焦躁表現有點「怎麼會這樣?」的感覺,就算後悔,也應該更冷靜點。之後在黑暗中掙扎與也太狗血了。不過反正都是我個人的偏執,而不是岡村真正要表現的主角。
(本名「シン」是「星」嗎?日本話只有一聲與四聲,很難辨識啊。)的代價似乎是(在親密的人懷中)好好睡一覺。所以黑之所以能不需付出代價,可能是因為在他體內的白幫他付了?(多分違うと思う。)至於大食量說是為了養活兩個人份的能量…我想不能這麼說。

畫面與戲劇張力都不錯。岡村之前也有不錯的作品,例如Wolf's RainMEMORIES EPISODE2 STINK BOMB 最臭兵器等。音樂部分,聲樂曲我比較喜歡 ED1「ツキアカリ」,其他都不怎麼喜歡。
想當閒暇時的消遣,我想足夠了。若要認真看,可能謎團太多(主要因為我懶得想吧),而且也沒什麼新的、耐人深思的內涵。不過,大部分的人似乎都看得很愉快,不論是看上哪一點。
2007/10/7 20:3:54